前略、豪州より

お待ちいたしておりました。 ゆっくりしてってね。

2018/03

 

いよいよ8日のキャンベラの旅も終わりです。

 

Maitlandから海岸側のハイウェイをじゃんじゃん北に向かっていたのだけど、

すっごい豪雨に襲われて、もう、前も見えなくなってしまった。

ちょっと雨が弱くなったCoffs Harborでハイウェイを降りて、

Yelpで適当に見つけた、The Coast Hotelで雨宿り$10ランチ。

 

DSC_029109031802

 

$10と思えないプレートでしたよ。近くに来た時はまた行きたいお店です。

 

 

Coffs Harborから93kmUlmarraを抜ける時に発見。

DSC_029109031806


 


パープルのがいし。

DSC_376513031842


 

 

この後はハイウェイに乗って、330km

バイロンベイ~ゴールドコースト~ブリスベンシティを一気に抜けて、

夜の早い時間に、おうちに無事帰還いたしました。

 


 



キャンベラからブリスベンに戻る時は、

コースト側へ出て、ハイウェイを一気に登る計画なので、

 

TuenaからAbercrombie川を渡って、

Georges Plainsから、Bathursthへ向かいました。

 

 

シドニーから西に200km、人口33.000人、Bathurst

 

私、大失態。すっかり忘れてた。

 

前に、この街のNational Motor Racing博物館と、

ジェノラン鍾乳洞へ行った時に、

Fossil  & Mineral Museumに行けてなかったのだった。

過去記事

 

それをすっかり忘れて、Bathurstの端の刑務所側から入って、

ガソリン入れて、スタンドの前の屋根の無い教会を見て、

DSC_0218130318311


そのままSofalaに向かって街を出てしまった。全く馬鹿者だ。

前回も凄く心残りで街を出たのに。

 


Bathursthから55km、人口208人のSofalaは、

51年に金が出て、3~4か月の間に中国人が押し寄せてできた、

今は殆ど誰も住んでいないけど、

誰も住んでいない訳じゃないっていうのがスゴイ、静かな村でした。

DSC_0218130318315


この辺りは今でも細々と砂金採りができるようです。

 

Hill Endにどうしても行ってみたかったので、Sofalaから一旦、西に35km

 

現在人口80人のゴーストタウンに近いHill Endですが、

DSC_02181303183281633

今、残っている建物はほんの一握りで、1870年代のゴールドラッシュ時は、

人口8.000人、銀行5店舗、教会8、パブ28店のバブリーな街だったようです。


Hill End Hilton

DSC_0218130318339
 

 

 

カフェでランチ。

黄トマトのフリッタータ。

DSC_0218130318342

 

凄く美味しかったです。作ってみたい一品。

 

 

 

Hill Endから40kmAvis Ford

DSC_0218130318347avisford

 

道沿いの草原の中にポツンと建っていた家だけど、良く見たらこの家、手前の壁だけじゃないの。

今度通る時は無くなってそうだから、ギュイーンとバックで戻って撮っておきましたよ。

 

ここから50km、これも道沿いにあった、Frog Rock

DSC_0218130318350frogrock

 

ホントにかえるみたい。

 

Frog rockから27kmUlan

DSC_02181303183281634

何にも無い凄い田舎に、突然大きな石炭鉱が幾つか見えてきて、

度肝貫かされたわ。調べても人口が出てこないから、

炭鉱だけで、住んでいる人はいないのかも。

 

Ulanから東に進路をとって、一気に250km

Maitlandで一泊。

疲れていたみたいで、サラダを少しとウイスキーを一杯飲んで、

目が覚めたら、朝になってた。びっくりしたわー。

 

 

 
 最終日だから気合で望みたいとこだけど、

日曜日だと開いてる博物館にも限りがあります。

ガツガツしても仕方がないけど、充実した一日にしよう。

 





日曜だから、早朝にキャンベラのマーケットに行ってみたかったけど、

調べたら10:00~16:00だった…。10時って…。



10時なんてそんな大切な時間をマーケットにはあてられないから、

とりあえず、朝の早い時間に公園にウォーキングへ行きました。

 





キャンベラ奈良平和公園。

DSC_00811303182015


石碑に書いてあるのは、

 

あさによし 奈良の都は咲く花の 薫ふがごとく 今盛りなり

 

「奈良の都は、ただ今花真っ盛り」みたいな万葉集巻3328の句です。

 

 

 







お隣に北京公園。

DSC_00811303182017
 

 

 






住宅街の中で、ロシアンチャーチ発見。

St John the Baptist教会

DSC_00811303182119
 

 







アンティークショップの開店前に、近くのカフェで朝ごはんのつもりだったけど、

行ってみたら商業団地みたいなとこでカフェが見当たらなかったから、

近くにあったホームセンター、BUNINGUSのカフェで時間潰し。

DSC_00811303182029







 


アンティークショップで、Canberra antiques center)

日本製のスープカップ。

DSC_029109031820


 







銀の魚。
携帯用パフュームボトルさ。

DSC_376513031841


 

 

 

 

Lanyon homesteadへ移動。

キャンベラの南、郊外にある、古い牧畜農家です。

DSC_00811303182058
 

古い家は、小さな部屋がいくつもある家が多いけど、

この家は一部屋がゆったり大きい家でした。財力を感じるわ。

 

 





バラマンディランチ。

DSC_00811303182061
 

 

 

 

絶対行きたかった場所に移動するよ。

 






Canberra Deep Space Communication

キャンベラ深宇宙通信施設

 

DSC_00811303182081

 

 

宇宙探査機を24時間体制で交信する為、

NASAはこの施設と、アメリカ、スペインの3か所の施設を使っています。

何故ならば、地球は自転しているからさ。

 

 

その3か所の内、

どのアンテナを現在利用しているかをライブ映像で見れるという、マニアックな装置も発見。

 

DSC_00811303182086

 

アメリカの真夜中のアンテナなんかが見れて、けっこう楽しい…。

 


ちょっとしたNASAの博物館や、カフェもあったけど、

できればもっと記念品的なお土産物にも、力を入れてほしいところです。


 

外に出ちゃってるよ。怖えー。ゾクゾクするわー。

DSC_00811303182070
 

 



オーストラリア造幣局、MINTへ移動。

オーストラリアのコインの歴史や、金、銀製品の展示もあります。

 

エミューの卵にシルバーの、渾身作品。

DSC_00811303182116
 

製造工程を上から見学できるようになっていますが、

この日は週末で誰もいなかった。

DSC_00811303182107


 

コインが作れるよ。

DSC_00811303182114


$3$1コインが作れちゃう、

「え…$3$1…」な、大人の世界も体験できちゃう。

 

 




ホテルの近くのパブ「DUXTON」でチキン、グリンピースとアスパラガスのパスタ。

DSC_00811303182129
 

 



もう一回、テルストラタワー。点灯バージョンでキャンベラ滞在終了です。

 

Messaging1519896169855


作られた街だから、娯楽は少なくても生活は便利だろうと思っていたら、

馴れていないせいもあって、お店探しとか、駐車スペース探したり、結構大変。

何処に宿泊しても、それなりに不便というか(笑)


私のスタイルにはちょっと合わない街だったけど、博物館はイイ。

行き放題、見放題。時間と曜日の都合で断念した博物館が、いくつもあるし、

次回は、博物館回りにどっぷり浸かる事にしよう。

 

 

 

 

2003年の山火事で、焼失した場所に植林して再建をはかっている、

The National Arboretum Camberra


まだ、若すぎて日影0…。10年後にはきっと素敵な森になってるはずさ。

DSC_00011303181035
 

Arboretum」をWIKIで見ると、「樹木を収集した園」だそうです。

 


 

 確か、こういう事する芸人さんがいたと思うけど…。

DSC_00011303181062


 



この中にある、

National Bonsai and Penjing Collection of Australia

DSC_00011303181018


 

ボタニックガーデンを外してこっちを選んだくらい、ここに行きたかったのよ。

 

 

フィグツリー。盆栽始めたくなるわ。

DSC_00011303181025


 

全体的に大きな作品が多いけど、ユーカリとか、オーストラリアの木を使った盆栽なので、

こちらから見ると大変斬新な作品ばかりです。

石を使った作品が多かったけど、それが北京スタイルなのか。

 


ついでに、ここのカフェで急いでランチ。

DSC_00011303181063


タンドリーチキンラップ。カレー味で美味しかったです。

 

 







National Museum of Australia
に移動。

 

ステキ。博物館の中のショップで、レプリカを販売してくれないかな。

DSC_00011303181071
 

オーストラリアの古代から現代、歴史的ポイントや娯楽がぎゅっと詰まっていて、

一回で見てしまうのは、ちょっとキツイな。

 

 

見所は沢山あるけど、一番気になったのは真珠産業かな。


ブルームの真珠業についてが殆どで、

彼らの生活も見れるコーナーがあったり。

DSC_00011303181115
 

 

居住地図。黄色がアジア人ね。日本人だけじゃなくて、中国人もね。

DSC_00011303181119
 

 

真珠貝の彫り物。

日本人ダイバーだった、カイノ クニヒコさんの作品だそうです。

DSC_00011303181104
 

 



 


たまたま見つけた教会、

Presbyterian Church of St. Andrew

_20180314_110050


結婚式の真っ最中だったので、外から1枚だけ。

 

 

 

 





2003
年の山火事で崩壊した、Mt Stromlo天文台。現在、新築中です。

DSC_00011303181042
 






窓から覗いてみました。

DSC_00011303181044
 

 

建物は全部で5つ位はあるんじゃないかな。

点々としていて良く分からなかったけど。

 

 

 

 




スカイツリーの上だけみたいな、テルストラタワー

テルストラは、日本のNTTのような、オーストラリア最大の通信会社です。

DSC_00011303181045
 

 

高い場所にあるから、眺めは360℃ウツクシイ。

DSC_00011303181047


風が強いから、帽子注意ね。

 

エコバッグ買ったぜ

 

DSC_029109031808

 







夜は、ホテルに戻る途中で何とか見つけた、

Capital Brewing Co. The Old Canberra Inn

 

キャンベラは、街の外に出ると、なかなかお店が見つからないようです。

 

サーモンとチンゲン菜、マッシュド南瓜。

DSC_00011303181051
 

 

行ってみたら、学生が多い店でちょっと恥ずかしいと思ったけど、

料理はおいしかったわー。キャンベラ滞在中、一番おいしかったかも。

 

 

 

 

 

 


人口358千人の首都キャンベラは、NSW州のシドニーから280km

VIC州のメルボルンから660kmに挟まれた、

オーストラリア首都特別地域で、表記はACTです。

 

こういう、作られた街なのであります。

DSC_029109031856
 

 

どうやらキャンベラの朝は遅いし、週末は休館が多いので、

行きたい施設はたくさんあれど、

上手く計画を立てるのは、なかなか難しいです。

 

 


キャンベラ一日目。

とりあえず、St John the Baptist Church, Reid

DSC_0001aus13812


 

石と煉瓦造りのどっしりした教会でした。 

 

 

 

 


そして比較的開園時間が早かった、Geosciences Australia

CollageMaker_20180312_192529515


 

鉱物や化石の博物館で、今回一番行きたかったところです。

 



マイニングや測量系の道具類もいくつかあって、

オメガのストップウォッチ。一目惚れ。

DSC_6082


 




三葉虫。石膏取り。何ともおしゃれです。

DSC_6087


 


いーよねー。

DSC_6124


 


いーよねー。

自分のコレクションがみすぼらしく思えて、泣けてくる。

 

 


私が今、一番欲しい石がこれ。Rainbow Lattice Sand stone

DSC_6157


 

まだ最近の1985年、アリススプリングス北東で発見された、

虹色が格子状に光る、自然の産物と思えない凄いヤツ。

 



これはオーストラリアで採れる油。

場所でこんなにも色が違うとは。

やっぱり、動物や植物の多い沿岸に集中しているようです。

DSC_6136


 

 





それから、Cockington Green Gardens。

キャンベラ郊外にある、ミニチュアガーデンです。

DSC_6178
 


 

ヨルダンのぺトラ遺跡。インディ・ジョーンズです。行ってみたい所の一つです。

 

DSC_0001jordan13810

 

 





War memorialへ移動して、側のカフェでローストビーフラップ。

DSC_0001aus13816


 

博物館は見学に時間がかかるから、ご飯に時間はかけられません。

 




Australian War Memorialは、

第一次世界大戦から現代のアフガニスタン辺りまでの博物館で、

全部しっかり見ようと思ったら、丸一日かかりそうな、

自分が何処にいるか分からなくなりそうな位、大きな博物館でした。

CollageMaker_20180312_193214313


 

 

 

ジャパニーズのつま先割れシューズ、月星社の地下足袋がありましたよ。

DSC_0073
 










出口にあるショップでマグカップを買ったら、トレイもおまけで付いてきました。

DSC_029109031814


 



キャンベラに来た用事も、この日の夜に無事完了。

DSC_0081


こういう系の、歯が浮くほどのあまい夜ね。

 


 Young
から30km走ったランドアバウトの側にあった大きな看板。

DSC_5946110308


 

こういう人、いるわー。

この顔でシングレット着て、ビール飲んでる人、いるわー。


 





行ってみました。

DSC_5913090318027


 

 

歴史のありそうな、大きなパブでしたよ。


 

ここから20km、人口5.579人、Cootamundraに到着です。

 

 





Jubilee
公園の中にある、
クリケットの歴代キャプテンの像が並ぶ、
Captain Walk

DSC_5913090318038


 

この町はクリケット界のヒーロー、
Sir Donald Bradmanの出身地なのです。

 



彼の生家へ行ってきました。

DSC_5913090318048
 

 

中は博物館になっていて、裏庭の離れに、古い雑貨の博物館もあります。

 

 




Cootamundraから53km、人口6.230人、この辺りの鉄道のハブ、Junee

 

駅に「Rail way caffe」があったので、ランチ。

DSC_5913090318075


 

イカの気分だったからね。

 






この町の見所はここ。
Junee Round House Museum

DSC_5913090318081


 

電車の転車台と車庫が残っています。

DSC_60151103082


 



この町には幽霊屋敷があるみたいだけど、ツアーは夜だけで残念。

 



キャンベラへ行く前に、ちょっとだけ寄り道。

Juneeから62km、人口1.926人、Gundagai

DSC_5913090318111




 

Dog On The Tuckerboxね。

DSC_5913090318121
 

 

 

 

Gundagaiから160km、人口358千人、オーストラリアの首都、Canberraに到着です。

 

 

とりあえず、ホテルのレストランでギリシャタパス。

DSC_5913090318122


 

タコとイカ、そしてグリークサラダで到着乾杯さ。

DSC_579901031867
 


youngの古い駅が、現在はインフォメーションセンターとして使われていて、

そこでウィスキーママレード。

DSC_029109031819



 

 

奥にワインセラーがあって、

アインシュタインのラベルが気に入って、これに決定。

 

DSC_029109031813

 

 

YOUNGは、 現在はチェリーが特産品の、人口7.000人程の田舎町ですが、

1860年頃、この町にもゴールドラッシュがやってきました。

 

その頃最大、中国人約2.000人、ヨーロッパ人10.000人がいたと言われています。

DSC_579901031842
 

 

が、金が採れなくなってくると起きるのが、

 

 

ヨーロッパ人達による中国人達への襲撃。

 

 

どこでも上手くコミュニティを作り上げて、コツコツ金を掘って塵を山に換え、

何でもソツなくこなす中国人達への嫉妬から、

彼らが選んだ道は物事を見習う事ではなく、

暴動を起こして略奪、虐殺でした。

 

 

この町でもアンチ中国人派は3.000人にのぼり、

1860~61年にかけて、中国人達のキャンプ地区、

街の外れの、ランビングフラットで何度か暴動が起こった事から、

Lambing Flat Riot(ランビングフラット暴動)と呼ばれています。

 

ヨーロッパ人3.000人による襲撃で、逮捕者は3人。

3人の解放が要求されましたが却下され、

ヨーロッパ人鉱夫達は政府に対して暴動を起こします。

 

似たような事件は他の金鉱でも起きて、

1861年に中国人の移住制限に対する法律ができますが、

1867年に廃止されています。

 

たぶん、その歴史が見れるっぽい「Lambing Flat 博物館」を見つけましたが、

オープン時間がこちらの都合と合わなくて残念。

 

そういえばインフォメーションセンターに、

「チャイニーズフェスティバル IN YOUNG」のポスターが貼ってあったから、

現在、中国との関係は良好のようです。



 

教会の写真を撮って出発。

DSC_5913090318019
 







教会の庭のバラ。黄色のバラは元気をくれるわ。

DSC_5913090318021
 

 

 

 

 

 

 

 

 

↑このページのトップヘ