前略、豪州より

お待ちいたしておりました。 ゆっくりしてってね。

カテゴリ: ブリスベンへの道

テナントクリークから北に24km、

3WAY。

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その名の通り、3差路です。
このままスチュアートハイウェイを真っ直ぐ行けばダーウィンまで行けます。

右折してバークリーハイウェイを使えば、クイーンズランド州へ行けます。

私はクイーンズランド州のブリスベンにお引越しなので、ここで右折します。

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さよならスチュアートハイウェイ。


そしてここから450km。 人口310人、Camooweral


この柵が州境になります。

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さよならノーザンテリトリー州。

NT州の最高速度は130㌔ですが、
ここからはQLD州なので110㌔になります。


そして時差があるので、時計の針を30分進めます。

こんにちはQLD州。
どうぞよろしく。

ブリスベンまで1992kmだ。


Camooweralから188km、人口21,000人、

Mt,Isa に到着。

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マウントアイザは鉱山の街で、
採掘だけではなくもちろん製錬所もあって、
銅、鉛、亜鉛の生産は世界最大級の規模になります。
銀も少しだけ生産されているようです。

第2次世界大戦中に作られた地下病院&博物館に行きたかったけど、
時間が合わなくて断念です。

なので、情報センター&博物館のOutback Isaへ行ってみました。
グレイハウンドバスのカウンターもここにありましたよ。

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ここでもいろんな鉱石を見る事ができるよ。

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時間が合えば鉱山ツアーもできるようです。



小さいながらも標本系の博物館もあって、

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何となく楽しめる建物です。

人口21,000人ってこの辺りだとそこそこだと思うけど、
日曜日はスーパーマーケットの
コールスもウールワースもお休みだそうです。
お買いものはお早めに。


マウントアイザから119km、人口2400人、

Cloncurry。

1889年1月16日にオーストラリア史上最高気温の53,1℃を記録しました。

そして人口2400人足らずのこの町で、

1928年5月、この時はまだほんの小さな航空会社だった
「カンタス航空」から借りた航空機と、パイロットのアーサー・アフレック機長が、
最初のフライング・ドクター・サービスとして、
シドニーの外科医、ケンヨン医師を乗せてクロンカリ~ジュリアクリーク間を輸送しました。


その血気盛んなケンヨン医師。

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そんなロイヤル フライング ドクター サービス
(R,F,D,S)を良く知ることができるのが、


ロイヤルフライングドクターサービス博物館。

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アートギャラリーもあって、色んな形で表現したRFDSはなかなか面白いです。

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クロンカリー空港。

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クロンカリーから更に東に走るFlindersハイウェイを行けば、
タウンズビルへ行けますが、ブリスベンへ向かっているので、
下に行けるMatildaハイウェイへ進路変更です。

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クロンカリーから108km、人口182人、

McKinlay。

ウォークアバウトクリークホテルがあるよ。

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もともとは、1900年に建てられたフェデラルホテルでしたが、


1986年の映画「クロコダイルダンディ」の中の舞台、
「ウォークアバウトクリークホテル」の撮影に使われました。

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映画の中ではノーザンテリトリー州の舞台設定になっていますが、
実際に撮影されたのがここ、
クイーンズランド州のMcKinlayなのです。

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で、この場合のホテルはパブの事です。

もちろん現在もパブとして営業しています。

ここに住んでいる人は殆ど見かけなかったけど、
小さいながらも図書館だってちゃんとある。
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学問は自由だ。

世の中は御盆じゃないですか。

私は引っ越しの準備で、荷造りアゲインです。

今回の引っ越しは近場なので、今使っているモノはできるだけ自分で運んで、
すぐに使えるようにセッティングしちゃおう。


McKinlayから75km、人口95人、

Kynuna。

1800年代後半には3つのホテルがあって、
人口も700人いたカイヌナですが、
現在はBlue Heeler hotel 1件が残っています。

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ところで、
オーストラリアの代表的ソングといえば、
バンジョーパターソンのWaltzing Matilda。
バンジョーといえば$10札の青い人です。

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愛国歌であるWaltzing Matildaはラグビーユニオンの聖歌にもなっていて、
人が集まるようなイベントで使われる事が多いようです。

歌の内容は、

放浪者が羊泥棒のかどで警察に追い詰められて、
沼に飛び込んで自殺するという、
1800年代のオーストラリアを風刺した歌です。


1894年9月、バンジョーはここカイヌナで、ボブ・マクファーソンから聞いた、


「ディア川から13?上流でのサミュエル・ホフマイスターの自殺の話」に

インスピレーションを受けて、Waltzing Matildaを書いたと言われています。

そういえばこの前日本に帰った時に見たイオンのテレビCM。
Waltzing MatildaがBGMだった気がします。


何だかちっとも落ち着かない日なので、今日はこれにて御免。



Kynuna から165km、人口954人、

Winton。

ウィントンで私が泊まったホテルは、

North Gregory Hotel

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実はこのホテルは火事で3回消失していますが、
それでもこのホテルが歴史的に有名な理由は、

前回紹介したバンジョーパターソンが書いた「Waltzing Matilda」が、
初めて公の前で披露されたのがここ、グレゴリーホテルなのです。
1895年の事でした。




ホテルの中はこんな感じの1930年代のインテリアで、なかなかかっこいい。

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で、Waltzing Matildaといえば、

Waltzing Matilda Center

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情報センターでもあるし、ここで

「ウィントンアトラクションパス」を買っておくと、
ウィントン観光がスムーズにいくと思うよ。
だからとりあえずまず最初にここへ行った方がいいです。




で、このWaltzing Matilda Center、

Waltzing Matildaシアターや、

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アートギャラリー、古い工具や農機具の展示もあったり、
思っていたよりかなり充実した広い博物館。


アートギャラリーにある絵の中に、
「Min min light」という思わず見入ってしまう、幻想的かつ迫力ある絵がありました。



で、

ミンミンライトって何?

出口にあるお土産屋さんで、
「ミンミンライト」について書かれた本を見つけたので買ってみました。

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森の中などで、地上約2m辺りに浮かんでいる小さな光を「ミンミンライト」と言って、
クイーンズランド州北部で目撃例が多く、
アボリジニ達はご先祖様の魂と思っている部族が多いようですが、
中には光で人を森の中に誘い込む、悪い岩の精霊と考える部族もいるようです。

Waltzing Matilda Centerには、カフェだってあるよ。
どうやらこのカフェが町一番の人気カフェみたいで、
私もここで久しぶりに新鮮な野菜にありつけました。



タイチキンサラダ(スモール)

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スモールってお皿のサイズだったの…。


しかも


タイ行った事ないでしょ、実際。っぽい、

ウィントン発タイチキンサラダ。

長い移動で、新鮮な野菜に飢えていたら、

クーリバーカフェ、おススメです。


まだウィントンにいるよ。

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グレゴリーホテルの裏の家です。

Arno's Wall。

1930年生まれのドイツ人のアルノさんは、
若い頃は商船の乗組員として世界を旅しました。
オーストラリアに移住した彼は、ウィントンでオパールの採掘業をしながら、
自分の家に手をかけてこられたようです。

で、そのオパールですが。

町にはいくつかオパール屋さんがあって、

いろんなタイプのオパールが揃っています。

オパールと一口に言っても、青だの白だのいろいろあるわけです。

私は加工済みのアクセサリーではなく、
原石タイプのオパールが入った石と、他にも鉱物を少し手に入れました。

その店のオーナーの妹さんがシドニー在住で、
日本語の通訳っぽい仕事をされているとかで、
「あ、日本人の方ですか。妹がいつもお世話になってます」っぽいノリで
oondoorooという真ん丸の小石を頂きました。

ウンドルーはこの辺りで採れる石で、
小指ほどの大きさの物から、漬物石ほどの物まであるようです。

ウンドルーはこの辺りのアボリジニの言葉で
「転がる石」というロックだぜ感あふれる意味を持ちますが、

このオパール屋さんの横の道が、

もちろん

oondoorooストリート。

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